東京を代表する繁華街、赤坂。オフィスビルや大使館、テレビ局や政府機関などが居並ぶ、グローバルシティとしての東京を象徴するエリアです。
大小の飲食店が軒を連ねるその目抜き通りに住んでいる人がいるとは、誰も想像しないかもしれません。しかしここにも、かつては市井の生活空間が広がっていました。
その記憶を伝えるのが、Tokyo Little House。赤坂見附駅に沿った賑やかな通りに唯一残る、築70年を超える木造2階建ての一軒家です。
赤坂の喧噪の中にポツンと残るTokyo Little Houseが建てられたのは1948年。まだ焼け野原も広がる東京でした。
周囲の街並みが刻々と変わっていく中、21世紀に至るまで三世代にわたって家族の生活の舞台となってきた小さな家です。
2018年、多くの人に訪れてもらえる形でこの場所を残していくために、その佇まいをできる限り残しながら、1階は展示のあるカフェ、2階は一室だけのホテルとしてリニューアルされました。
居室の造作や建具は、昭和20年代からほとんど手つかずで残されてきたもの。改修は、こうした特徴をできる限り残すよう細心の注意を払いながら、防音性や断熱性を高め、現代でも家族が暮らせるような配慮のもとに行われました。
窓の外の繁華街とは異質な空間には、東京の真ん中で長く営まれてきた暮らしの痕跡が残されています。
木製のガラス窓を開けると、そこに広がるのは現在の東京。
その風景からは、日本の都市の住宅が本来持っていた街との距離の近さとともに、内部に広がる時間と外側に流れる時間の隔たりを感じることができるはずです。
(写真)1950年頃、Tokyo Little Houseの前で撮られた写真。写っているのはこの家で暮らした一家とその親戚。
左側の居室と相対する寝室スペースは天井をはがし、太い木の梁や、今はもう使われなくなった碍子(がいし:電気配線のための陶器でつくられた絶縁体)がむきだしに。キッチンとの仕切り壁は一部が解体され、土壁と竹木舞があらわになっています。
当時の日本家屋がどのようにつくられていたのか、その来歴をご覧ください。
1階のカフェは、東京を観光しなおす拠点としてお過ごしいただける小さなラウンジのような空間です。
現在はTokyo Little Houseが建てられた敗戦直後の東京の風景をテーマにした展示を行っています。ライブラリーには、かつてこの都市に生きた人々が目にした風景をおさめた貴重書などを配架し、手に取ってご覧いただくことができます。
コーヒーは、有名ロースターに勤務した後、東南アジアやアフリカなどのコーヒー農園を旅してきたバリスタが淹れるハンドドリップ。カフェの営業中(平日11時〜17時)にチェックイン・チェックアウトされる方には、ドリンクサービスがつきます。
Tokyo Little Houseという名前は、『The Little House』(邦訳『ちいさいおうち』1965年、岩波書店)という絵本にちなんでいます。都心のビルの谷間に残る一軒家の佇まいは、一見するとその絵本に描かれている「Little House」によく似ているからです。
『The Little House』は、『せいめいのれきし』など数多くの名作を生み出したアメリカの作家、バージニア・リー・バートンが1943年に出版した作品。
主人公は、丘の上の野原にポツンと建っていた一軒の小さな家。次第にその周りで宅地化が進み、やがて高層ビルや高速道路に囲まれ、いつしか家は住み手を失ってしまいます。しかし、最後は家が再び野原の広がる郊外へと引っ越してハッピーエンドを迎える、という物語です。
そこに描かれているのは、20世紀の都市がくぐり抜けてきた変化です。地下鉄や高速道路が発達し、次々と背の高いビルが建てられ、「ちいさいおうち」は都市の中に居場所を失っていくことになったのです。
(写真)1962年の赤坂の航空写真。中央のビルはTBS会館(現赤坂サカスBizタワー)、左の鉄塔はTBS電波塔(現TBS本社屋)、中央奥はホテルニューオータニ敷地、中央右端のコの字型の建物はホテルニュージャパン(現プルーデンシャルタワー)。その下側の白いビルに挟まれて建つ民家がTokyo Little House。上記のようなランドマークを除けば、当時の街並みは民家や料亭など低層の家屋が軒を連ねていたことがわかる。(所蔵:市街地開発株式会社)
その歴史は、20世紀の東京でも見事に繰り返されたように思えます。けれども、私たちの「ちいさいおうち」に居場所がないかというと、そんなことはないように思えました。
東京のLittle Houseは、焦土の暗闇からネオンの光まで、文字通り歴史の明暗を見守ってきました。それは、この都市がくぐりぬけてきた歴史に想像をめぐらせたり、言葉を交わしたりするのに打ってつけの場所のはずです。
東京版「ちいさいおうち」の物語はまだ始まったばかり。かつてこの都市に広がっていた風景に思いをめぐらせながら、長く暮らしの舞台となってきた寛ぎの空間と、都市の喧噪の間で、いつもとは違う東京の風景を発見してみてください。