HUB INNがあるのは、土生(はぶ)商店街。
空き店舗となっていた物件を、1日1組限定の宿として再生しました。
町と繋がる場所となれるように、1階はイベントもできるコミュニティスペースに。
漆喰と無垢材を使ったシンプルな客室には、因島を感じれる要素を取り入れています。
広々と使えるお部屋の中で、備え付けの本を読んだり、プロジェクターでお好きなDVDを楽しんだり、遠くに海や山の見える屋上でコーヒーやドリンクを飲んだり、おもいおもいの時間をお過ごしください。
18歳までここ因島で育ちました。
遊ぶ場所といえば海、山、学校のグラウンドで、自然に囲まれた土地ならではの子供時代を過ごしました。
しかし、この島しか知らない僕は都会に憧れ、「早くここを出たい」という気持ちがだんだんと強くなり、高校卒業と同時に島を離れて暮らすようになりました。
島から離れて外の世界を見るうちに、自分の育った環境は当たり前ではなかったんだと気づきました。
キラキラと光る穏やかな海、波の音、空いっぱいに広がる満天の星。
海を近くに感じれるこの島で、ただ何をするわけではなく、何を考えるわけでもなく、そこに吹くやわらかな風に身をゆだねるだけで、心がすっと軽くなるんです。
僕にとって因島は、尊くて、とても愛しい場所となりました。
もしかしたら因島でゆっくりとした時間を過ごすことで、自分のように、心が落ち着いたり、また明日から頑張ろうと前向きな気持ちになれる人がいるかもしれない。拠点の宿を作ることで、因島に来るきっかけを作りたい。
そんな想いから2018年10月に当時勤務していた東京から、因島にUターンすることに決めました。
宿をやりたいといっても、今まで何の経験もノウハウもなければ、お金もない。
まずは尾道市内のホテルで働きながら、ホテルのオペレーション、清掃・ベッドメイキング、お客さまとの接し方などを学びました。
同時に因島での物件探しもはじめ、町の人たちに自分がやりたいことを伝え続けました。
色々な人の助けやご縁があり、最終的には土生商店街にある空き物件をお借りすることに決まりました。
内装の設計、工事費の見積もりが出てからは、少しでもお金を節約するために内装の解体はすべて一人で行いました。8月で冷房もない中、全身汗でびしょ濡れになりながら慣れない作業で大変だったことも、今となれば楽しかった思い出です。
大工さんが工事に入ってからも「自分でできるところは全てやる」という姿勢で、壁と天井に漆喰を塗ったり、土間床を工具で磨いたり、外階段の塗装の塗り替えをしたり、自分の手を加えて空間を作っていきました。
お金の面では、自己資金プラス、クラウドファンディング、補助金、融資と、本当にたくさんの方々の温かいご支援のおかげで工事を最後まで行うことができました。
工務店さん、設計士さん、町の皆さん、友人、SNSで応援してくださる方々、そして自分の手作業と想いを乗せた空間が、構想から2年間の時を経て、2020年12月4日、土生商店街にOPENしました。
土生商店街は年々お店が減り、今では空き店舗が目立ちますが、昔ながらの街並みや、美味しい食事ができるお店がたくさんあります。
広島風お好み焼きは通常そばですが、因島ではうどんを麺として使います。
通称「いんおこ」と呼ばれ、古くから島民に親しまれてきました。
その他にも土生町には、新鮮な魚の刺身が買えるお魚屋さんがあったり、昔ながらのパン屋さんがあったり、夜にはおでん街でマスターとの会話を楽しんだり、おばあちゃんがやっているスナックでカラオケを熱唱したり。
一日の滞在を通して、因島を味わっていただきたいです。
土生からは、ゆめしま海道(佐島・生名島・岩城島・弓削島)行きのフェリーが出ています。
上の写真は、隣の生名島ゆきのフェリー。
片道3分のクルーズで隣の島に渡り、港にある料理屋さんへ。
そんな楽しみ方もアクセスの拠点である土生ならではのこと。
因島、周辺の島々含め、店主が「島のコンシェルジュ」として皆様のお役に立てればと思っております。
穏やかな海、柑橘畑の広がる風景、多島美。
小高い山に登れば遥か遠くまで見える、
海と小さな島々。
造船所の鉄板を叩く音、
船の汽笛音が微かに海から聞こえてきます。
ここ因島は、やわらかい風の吹く場所。
「また因島に帰りたい」
1度行って終わりよりも、
何度も帰りたくなる場所。
変わらない景色がある場所。
常に変わり続ける世の中で、
変わらないものに出会う島。
因島で、皆様さまをお待ちしております。