小澤治三郎は1886(明治19)年、旧高鍋藩士の次男として宮崎県高鍋町に生まれました。のちに海軍中将として最後の連合艦隊司令長官となった治三郎は、高鍋の風土の下、この生家で少年期を学び過ごしました。アメリカの戦史研究家が「近代戦にふさわしい科学的リーダーシップを備えた名提督」と評するなど、分析力と決断力に優れた人物でした。
地域の歴史的遺産でもある築150年以上の木造2階の古民家です。当時の趣が感じられるよう梁や柱を残しつつ、ご利用いただく家具類はその雰囲気を壊さないような上質なものをご用意致しております。
掛時計がゆったりとした時を刻みます。
浴槽は総ヒノキ造り。檜の香りに包まれて癒しの時間をゆっくりと。
2階は洋室と和室の寝室です。シモンズ製のセミダブルベッドが1台と、寝心地のよい和布団を人数分ご用意しております。お布団はハンガリー産の高級羽毛布団。ふわふわの羽毛布団に包まれてぐっすりとお休みください。
「文教の町」として知られる高鍋は、高鍋藩の城下町として長い歴史の中で多くの偉人を輩出してきました。中でも最も有名なのは第7代高鍋藩主、秋月 種茂(あきづき たねしげ)です。上杉鷹山の兄であり、鷹山が最も尊敬していた人物です。
そんな歴史を感じられる高鍋城址のある舞鶴公園まで約700m。歴史総合資料館には小澤治三郎に関する資料も展示されています。
その他、周辺の観光情報につきましては、高鍋町観光サイト(https://takanabe-kankou.com)をご覧ください。